投稿日:2024年1月6日 | 最終更新日:2024年1月6日
死生観ってなんぞや?
死は誰にでもいつか必ず訪れるという前提で、どのように生きるかを考えること、だそうです。
私にとって「生きる意味」とは
私は毒親育ちで認知が歪んでいたり、刺激や不安に弱いHSPだったり、マイペースを保てないと過緊張でぐったりしてしまう内向型など、様々な特性を併せ持っています。
それ故に、「普通に生きる」という事が困難でした。
いつもなにか問題にぶち当たり、それを悩み苦しみながら1個1個向き合い解決して生きてきました。
それでもなんとか、命を投げ出さずに生きているのは、好奇心が旺盛であること、問題解決力に自信があり、アウトプットが好きであることかなぁと思っています。
ただ、死ぬまで生きる
私にとって「生きること」とは、「ただ、死ぬまで生きる」ことです。
どうせ生きるなら楽しく生きたいし、誰かの役にも立ちたい。
生きるのは困難だけど、それすらも同じ悩みを持つ誰かの助けになるならば、乗り越えながら生きよう。
そう思っています。
好奇心は生命力になる
私は知的好奇心が旺盛で、楽しいことが好きです。
自分の頭の中だけで、自分なりの哲学を構築することも好きですし、それをアウトプットするのも好きです。
家族や信頼できる仲間と、ワイワイ楽しく過ごす事も好きです。
実家にいて自尊心がボロボロでも生きていられたのは、外の世界は楽しいことを知っていたから。
akiさんというエンターテイナーに出会えたから。
集まって騒げる仲間がいたから。
今は家族がいるので、家族と遊ぶのが楽しいです。
信頼できる仲間もでき、新しいイベントや飲み会を計画するのが、とても楽しいです。
まだまだやりたいことがあるので、まだまだ生かしてください。神様…。
問題解決力への自信と、アウトプット力
私は様々な困難を、様々な人の知恵をお借りしながら解決してきました。
それで問題解決力に自信がつき、「ま、なにがあっても私なら乗り越えられるでしょ」と思えるようになったことは、生きる自信にもなりました。
そして、先人の知恵や経験をお借りしてきた「恩送り」の意味でも、私の経験や知識をこうしてブログやSNSで発信するようにしています。
文章で自分を表現するのが好きなのも幸いしています。
どんな困難があっても、私は解決できる。
それは、誰かの助けになる。
そしてアウトプットは私も楽しい。
困難が結局は、楽しみになるという循環が起こっています。
困難が訪れても、「ネタになるな誰かの助けになる経験を得られる」と思えるようになりました。
渦中では無理だけどね!
乗り越える事に必死です。
生きるのに「宿命」はいらない
「宿命に従って生きる」という言葉があります。
私も一時期、「私の宿命はこれだ!」と思って生きていました。
しかし今は、特にありません。
なぜかと言うと、飽きてしまうから(笑)
宿命があったほうが生きやすい人は、持ったら良いです。
しかし私は、決めると飽きてしまった時に自分を責めてしまいます。
なので、宿命といったものは持たない事にしています。
ただ、好奇心に従い生きるのみです。
私にとって「死ぬ事」とは
私にとって、死ぬ事は「」。
答えは出ていません。
ただ、命の終わりというイメージです。
死ぬ事は怖くない
自分の肉体がなくなること自体は、怖くありません。
ただ怖いのは、痛いことや苦しいこと。
苦しむのは嫌だなぁ。痛いのキライです。
そして、遺された人はもっともっと、苦しむこと。
それがいちばん怖いです。
しかし、死というのはいつ自分にやってくるかわかりません。
死ぬつもりは全然ないですが、私が死んだあとの為に、保険に入ったり、こうして私の言葉をネット上に残したりしています。
私の父は、メディアに活躍が残っているのですが(健在ですよ)、それがありがたいんですよね。
そしてakiさんも、音楽だけではなくメディアにたくさん姿や言葉を残してくれました。
本当に、残してくれてありがとうと思っています。
あまり発信しなくなった時期があると、寂しいのです。
だから私は、発信は続けたいと思いました。
死ぬまで精一杯生きる
敬愛する方の死を経験し、より一層強く思います。
私が生きている「今日」は、誰かが生きたかった「明日」かもしれない。
どんなに命を投げ出したくなっても、私達は命や寿命を交換することは叶いません。
だからこそ、やりたいことはすぐにやり、そのためにやりたくないことは今すぐやめる必要があると思います。
命を粗末にしたくない。
人生を無駄遣いしたくないと思います。
今、akiさんが残した言葉の中から「これやりたいなぁ」を拾って、私のWISH LISTに入れています。
私が代わりに、なんておこがましいけれど、弔いと敬愛の念を込めて、少しずつ叶えていきたいです。
そして死ぬ時に、「やりたいことは全てやり、精一杯生きました」と神様にご報告したいです。
「死にたい」は「生きたい」
私は過去に2回だけ、「死にたい」と思った事があります。
でも夫も子どももいるし、死ぬのは怖いし。痛いの嫌だし。
死ぬのは怖いから、どうせなら「生きていても怖いこと」をやってみよう、と思いました。
私にとって「生きていても怖いこと」は、誰かを頼る事、自分の弱さを認めてさらけ出すこと、失望されること、我慢しないこと、でした。
つまり、私はひとりで我慢して頑張って、誰かの期待に応えて、強がって生きていました。
そりゃ、死にたくなるわな。うん。
「死にたい」という言葉は、「自分らしく生きたい」ということです。
「自分らしく生きる」というのは、誰の期待にも応えず、自分の為に生きること。
それが簡単ではない人がいる事は、私にはわかります。
特に毒親育ちやHSPは、難しいですよね。
でも、死にたくなるほど我慢して生きる必要はないんです。
怖いけど、自分らしく生きて大丈夫。
「死にたい」人へ
残念なのは、「死にたい」は「生きたい」なのに、うっかり死んでしまう事があること。
自傷行為は、「生を実感するため」にする人もいます。
しかし、うっかり死んでしまう事もあります。
だから私は言いたい。
生を実感したいなら、まずやりたくないことやめよう?
そして、自分のクズさも弱さもポンコツさも認めてあげようよ。
あなた以上のポンコツは、この世にたくさんいるから。
欠点というのは、愛されるポイントです。
世界は怖くないから、自分でまずは自分を認めてあげてください。
そして、どんなに小さい事でもいいから、やりたいことを探してやってあげる。
風呂に入る、でもいい。
散歩する、でもいい。
ドーナツ食べる、でもいい。
やりたいことをやってあげられた自分を、たくさん褒めてあげてください。
あとね、オススメは、海外の人と交流すること。
価値観をぶっ壊されて、枠が広がるのでオススメです。
できれば海外へ行けるといいですね。
番外編:「仲良くやろ〜よ〜」
大切な人が死ぬと、人は傷つきます。
その傷の扱い方を自分で知らないと、自分を更に傷つけてしまったり、他人に不用意に攻撃してしまうこともあります。
私はたまたま、akiさんの死に関して、びっくりする言葉を発している人がいることを知りました。
どうしてそんな言葉を投げつけられるの?と。
人は、追い詰められると本性が出ます。
その言葉を発した人は、私の知り合いではないのですが、普段から他人や社会を恨んでいる人なのかな、と思いました。
つまり、心が未熟であると。
その言葉を投げつけられた人が、未熟な人の言葉に傷ついていないことを願います。
また、故人への愛や依存が深いほど、自分の価値観や信念と合わない人を否定や攻撃したり、排除したりする人もいます。
(合わない人の言葉は聞かなくていいだけ)
良い悪いは置いておいて、その行為を、故人は喜ぶだろうか?
私は「みんな、仲良くやろ〜よ〜」って、言ってる気がします。
不和を嫌う、あなたの事だから。
まぁそれすらも、私の価値観でしかないので、正解であるわけではないですが。
さて、今回は私の死生観を書きました。
書いてみて、「死ぬ事とは」が出てきていないことに気づきました。
答えが出る日はくるのでしょうか。
長ったらしくなってしまいましたが、得られるものがあった人はどうぞお持ち帰りください。
kumiでした。
じゃ、また!