投稿日:2023年4月17日 | 最終更新日:2023年4月17日
私は昔からブログで「ジャッジをやめようね」と伝えてきました。
ジャッジは、生きづらさを生むからです。
ジャッジに隠れているのは、怒りや劣等感です。
それらはマウンティングや批判など、人間関係のトラブルの元になるものだからです。
ジャッジとは
ジャッジとは、自分の価値観を基準に他者を「良い」「悪い」、「正しい」「間違ってる」と判断することです。
しかし、世の中の物事って「良い」「悪い」ではっきり決められることなど、ほとんどありません。
長所は短所の裏返しですし、メリットはデメリットと一対です。
リスクとリターンは表裏一体ですし、
どちらかが100%良くて、どちらかが100%悪い、なんてことは、この世にはありません。
立場や切り口が異なれば、「〇」と「×」は、簡単にひっくり帰ります。
なぜ、ジャッジしてしまうのか?
劣等感が強すぎるから
ジャッジは、簡単に言うと「人をバカにする事」です。
なぜ、人をバカにしてしまうかというと、劣等感が強いからです。
劣等感は誰もが持っています。
しかし、劣等感が強すぎる人は、他人を見下したり蔑んだりする事で自分を優位に立たせて自信を持とうとします。
優越感を感じて、安心しようとするのです。
人のSNSを見て「イタイ」とか「間違ってる」とか言う人も、劣等感が強いが故に、他者の「落ち度」を探してディスって安心したいのでしょう。
人をディスると、一時的に安心するんですよ。
なにも問題は解決しないけどね。
私も元・毒親育ちですしアダルトチルドレンでしたから、それはそれはもう劣等感が強く、優越感を感じる為に他人を見下していました。
同じく毒親育ちだった友人も、非常に劣等感が強く、他人をいつも見下していました。
人をバカにすると一瞬は満たされるけど、やっぱり苦しいんですよね。
劣等感が悪者なわけではなく、正しく付き合えば向上心や努力へのパワーになります。
しかし、他人を見下す為に劣等感や優越感を使うのは、本人にも相手にも良いことはなにもありません。
正義感や美学が強すぎる
正義感や美学が強いと、どうしても「正しいこと」を求め「間違っている」事を排除しようとします。
そこから生まれるのは、トラブルだけです。
「相手が間違っている」という思想から、戦争も始まるのです。
ある面では正しいと見えても、多角的に見ると別の見解も正しいということは、よくあることです。
例えば、実際にあった話です。
私の知人が「高校で黒染めスプレーをするのは間違っている」という考えだったのですが、
私の卒業した高校では普通に日常の光景でした。
なので、「えー学校で黒染めしたらダメなんだ!?」と思ったんですけど、環境や立場が変われば「正しい」が入れ替わることなんて、この世にはたくさんあります。
例えば、仲違いで板挟みになった時も、「どっちの主張も間違ってない。立場と性格が違うだけ。」ということは、よくありますよね。
そこで、関係のない第三者が「良い」「悪い」と裁くことは危険です。
人間関係も壊れるし、ますます正義感からのジャッジがキツくなります。
私も性格上、平和主義なのでよく板挟みになりますが、自分の価値観でジャッジすることは控えるようにしています。
みんな間違ってない、という前提で見るようにしています。
正義感があるのは良いけれども、あなたの価値観は、あなたの中で守ればいいだけ。
他人にその価値観を強要すると、あなたも相手も苦しいですよ。
強すぎる正義感や美学は、他者の排除の始まりですから。
それに、他者の価値観を尊重すると言うことは、自分自身の成長にもなります。
ジャッジがなぜ、生きづらさを生むのか?
自分もジャッジされるという恐怖が生まれる
自分が他人をジャッジしてると、「自分も他人からジャッジされるかも」という不安が常につきまといます。
他人をジャッジしてる人にとって、自分がジャッジされることは恐怖です。
常に何かの恐怖にさらされながら生きるのは、苦しい事です。
本当は、誰もあなたをジャッジしていません。
ジャッジしてくる人がいたら、それは相手の心の問題です。
相手があなたをジャッジしてこようと、あなたの価値にはなにも影響ありません。
ま、気分悪いけどね(^_^;)
ジャッジされると、不愉快ですよね(笑)
他人を責めることは、自分を責める事と同じだから
他人を責めてる人って、自分を責めていることにもなります。
脳は自分と他者の区別がつきませんから。
他人の非をジャッジして責めていると、すなわち自分いじめにも繋がる事を、覚えていたほうがいいです。
自己否定はストレスになるので、自己否定を受け続けた脳みそはダメージを受けます。
参考記事
脳の活動低下を招く「自己否定」する人の特徴3つ
(東洋経済オンライン)
脳がダメージを受けると、考える力がなくなったり、認知が歪んだりして、それがトラブルの元になったり、問題解決を遅らせます。
ジャッジをやめていくと起こること
やりたいことをできるようになる
ジャッジをやめていくと、他者からのジャッジを気にしなくなるため、やりたいことを遠慮なく罪悪感なくできるようになります。
好きなことをしても誰からも咎められることはありません。
あなたの生き方は、あなたが決めていい。
嫌なことをやめられるようになる
ジャッジをやめると、他人の目や評価を気にしなくなるので、我慢してなにかをする事がなくなります。
例えば私は、平日の夜ご飯作りをやめて「一汁一菜」生活にしましたが、やめる時はとても悩みました。
自分の中でも、「夜ご飯を作らない母親ってどうなんだろう」と葛藤しました。
関連記事
「一汁一菜生活」始めました
しかし、なんと土井善晴先生が、「子育て中は一汁一菜で良い」と唱えていました。
そしてあの料理研究家コウケンテツさんも、その価値観を肯定していました。
土井先生が言うなら間違いないでしょ。
(圧倒的信頼感)
やめた結果、栄養のバランスは整ったし、私のイライラの元がなくなりました。
自分を責めなくなる
他人を裁いて責めることは、自己否定と同じだと上述しました。
他人を責めることがなくなると、自己否定もなくなるのでとても生きやすくなります。
自己否定をやめるよりも、他人を責めるのをやめるほうが簡単かもしれません。
ジャッジをやめる方法
気づくだけでいい
ジャッジをやめていく第一歩は、「自分はジャッジしている」と気づくだけで大丈夫です。
誰かの「間違い」「ダメなところ」探しをしている自分に気づくこと。
「あの人は間違ってる」と思った自分に気づくこと。
「誰かをバカにしている」自分に気づくこと。
実は、ジャッジは「自分がジャッジしていると気づく」ことが一番難しいです。
なので、気づけただけでとてもとても大きな第一歩なんです!!
気づけた自分を褒めてあげてください!!
心に「舎弟」を住まわせる
舎弟って、どんなイメージですか?
兄貴分のやることなすことを肯定し、おだてるイメージありません?
心の中に舎弟を住まわせて、なんでも肯定してもらいましょう。
「すげぇっすね!そんなこともできるんすか!」
「兄貴の言うとおりっすよ!」
「いや~そんなこともありますよね!でも俺は兄貴を尊敬してるっす!」
まぁ、口調はなんでもいいんだけど(笑)
とにかく、心に「100%自分の味方」を住まわせることです。
究極は、ジャッジすることすらOKなんです。
「ジャッジしちゃう時もあるっすよね~!」って、まずは肯定してもらいましょう。
すると劣等感は落ち着いてきますよ~。
昨日より1個減らせたらいい
ジャッジは、単なる思考のクセです。
クセなので訓練すれば変えていけますが、すぐには変わりません。
変わらないことで自分を責めたりせず、昨日の自分よりもジャッジを1個減らすことを目指してみてください。
まとめ
私も相当ジャッジがキツく、とてもとても生きづらかったです。
しかし、ジャッジせずに生きるようになると、好きなことを遠慮や罪悪感なくできるようになるし、嫌なことも罪悪感なくやめられるようになります。
人生は一度きりだから。
ただの思考の癖である「ジャッジ」に振り回されて、好きなことができないのはもったいないです。
ジャッジを手放すメリットはたくさんあるので、ぜひ今日から1つでもジャッジを減らせるよう、意識して過ごしてみてください。
ではまた!!